三士誠忠の碑(さんしせいちゅうのひ)

sanshiseichuu明治25(1892)年に旧岩国藩公と藩の有志により吉香神社内に建てられた、岩国三士(栗栖天山(くりすてんざん)・南部五竹(なんぶごちく)・東沢瀉(ひがしたくしゃ))の活躍を伝える碑です。
天山は沢瀉と必死組(後に精義隊)を組織し、藩風改革運動の先駆をなしましたが、柱島に流罪となります。
天山は慶応2(1866)年、沢瀉を救うため柱島を脱し同士に所思を訴えますが、賛同を得られず自刃。
また、五竹は慶応3(1867)年、沢瀉を救出し奇兵隊に呼応して尊攘の志を達しようとしましたが、未然に捕らえられ刑死しました。
その後、沢瀉は慶応4(1869)年に釈放され柱島を脱し、翌慶応5(1870)年に沢瀉塾を開き、自身の後進の指導にあたりました。

【所在地】〒741-0081 山口県岩国市横山2丁目8 吉香神社内



このページの情報は「岩国市観光振興課」の提供です