吉川家墓所(きっかわけぼしょ)
岩国吉川(きっかわ)家初代広家(ひろいえ)から、6代経永(つねなが)を除く12代経幹(つねまさ)までの当主及び一族の墓が、51基立ち並んでいます。
常に濃い緑に囲まれた墓所は、静けさに包まれた特別な空間で、訪れる人々に深い感慨を抱かせます。
内部は、広家や経幹が眠る「山のお塔」、3代広嘉(ひろよし)や4代広紀(ひろのり)などの眠る「寺谷のお塔」に分かれ、塀が廻らされてそれぞれの墓域を囲んでいます。
墓石の多くは五輪塔で、藩主及び夫人の墓石は高さ3.5メートルを越え、石造文化財として見るべきものがあります。
墓地の中心は吉川広嘉の墓で、広嘉とその近親の墓である5基の五輪塔が、横一列に配置されています。
木菟の手水鉢(みみずくのちょうずばち)
広島藩浅野家の家老で茶人の上田宗箇(うえだそうこ)から、枝垂れ桜の返礼として、寛永2(1625)年に広家に贈られた手水鉢。高さ143センチメートルで、表側に木菟が浮き彫りにされており、手水鉢の彫刻モチーフとして木菟はとても珍しいとされています。
誰が袖の手水鉢(たがそでのちょうずばち)
江戸時代初期の茶人である小堀遠州(こぼりえんしゅう)の子孫・小堀正明が、経幹に贈ったと云われる手水鉢です。
場所は参道の山道を30メートルほど入った「山のお塔」区域。吉川経幹の墓域のすぐ側にあります。
【所在地】〒740-0081 山口県岩国市横山1丁目256-2
このページの情報は「岩国市観光振興課」の提供です